倉庫は、利用する側からすれば「物を置いておく場所」であり、求めるものは効率の良い物流を実現する倉庫管理といえます。
なお、現代の倉庫業が形作られるまでには様々な歴史がありました。ここでは、意外と知られていない倉庫の歴史についてご紹介します。
倉庫は物を備蓄する目的として作られたことから、文明が起こった頃から存在していたと考えられます。なお、エジプトにある3500年前の古都ルクソールの倉庫群を見ると、基本的な仕組みは現在とほぼ変わっていないことが分かります。
この倉庫群には、穀物類だけでなく、当時の「情報」も残されていました。一緒に保管されていた陶板には当時の状況が事細かく記録され、倉庫がどのような用いられ方をしてきたのかが分かるようになっています。現在の倉庫業は入出庫管理を徹底して行うことで物流の一翼を担っていますが、当時から同じような役割があったことが分かっています。また、ナイル川の氾濫の記録や、いつ氾濫が起きるのかという情報も保管されており、非常時における対策も万全であったことがわかります。この点で、倉庫は古代の時点ですでに完成されたものであったと考えられます。
日本においては、高床式倉庫が非常に有名です。常温倉庫としての機能が優れているだけでなく、東大寺正倉院に代表される倉庫には当時の文化を知ることができる宝物等も保管されており、やはり情報の記録・保管としての役割が古くからあったことが伺えます。
中世になると、海上交通が発達したことによって商人の活動が活発になり、倉庫も多く建てられました。大きなターニングポイントを迎えたのは、明治初期です。
廃藩置県などの大きな改革が重なったことにより、国や藩ではなく民間の商人が台頭するようになりました。これまで公的機関が管理していた倉庫も民間人が使用するようになり、これが本格的な倉庫業の源流だといわれています。
倉庫業を専門とする企業が初めて登場したのは、明治20年のことです。
これまでは木造や土蔵だった倉庫にレンガ造りのものが登場したのも、この時代の大きな特徴です。明治41年には鉄筋コンクリートの倉庫も登場しており、文明開化の流れにより倉庫業が急速に発達していったことがわかります。
また、クレーンを始め、倉庫業に機械が取り入れられ始めたのもこの頃です。
戦後は、日本のあらゆる分野においてターニングポイントとなった時代で、これは倉庫業においても然りです。なお、倉庫業は特別融資があったために復旧は非常に早いものでした。朝鮮戦争の特需もあって活気はかなりの規模になり、米軍の軍用品の運搬や保管をきっかけに機械が使われる頻度が増えていきました。フォークリフトの登場は保管業務の効率を大幅に躍進させ、代わりに交通網の整備が追いつかなかったほどです。
倉庫業の機械化、効率化の大部分はこの時代に進められ、現在の倉庫業を形作っています。戦争が技術を進歩させるとしばしばいわれますが、倉庫業もその恩恵を受けたひとつだといえます。
高度経済成長期は、大量消費の時代とも呼ばれています。大量生産・大量消費が良しとされていた時代で、このサイクルによって経済を発展させてきました。倉庫業も大量生産に関わっており、少ない品目の商品を大量に保管することで、大きな発展を遂げました。この頃、交通網の整備が大々的に進められたことも倉庫業の発展に付与しています。
昭和から平成に入る頃、生産や物流業界は大きな方向転換を迎えます。様々な要因から大量生産は控えられるようになり、顧客の細かいニーズに答えるため、品目を細分化する必要が出てきました。勢いがあれば良かった高度経済成長期とは違い、安定期に入ると顧客の買い控えも起こり、ターゲット層を正確に分析しなければ不良在庫を大量に抱えてしまうリスクに繋がりました。
倉庫業にとっては、在庫が多すぎても少なすぎても望ましくありません。高度経済成長期以降は、商品に多様性を持たせて顧客を逃がさない工夫が求められ、さらには発注から発送までのリードタイムの短縮が求められる時代になりました。とはいえ、こうした時代が倉庫業をさらに発展させ、近年のIT化に繋がったといえます。在庫管理や市場調査はエジプトのルクソールの時代から行われていたものですが、その効率は高度に進化しています。
戦後や高度経済成長期のような激しい動きはないものの、現在も倉庫業は進化を続けています。
近年では、パソコンやスマートフォンの普及によってインターネットの利用者は増え続けており、インターネットショッピングの利用者も拡大の一途を辿っています。店舗へ行かずとも買い物ができるネットショッピングが当たり前の時代になったことで、倉庫管理にも新しいメソッドが求められています。
他にも、トランクルーム事業など、新しいものが次々に飛び出しているのが現在の倉庫業界です。こう考えると、10年後には全く新しい仕組みが生まれているかもしれません。